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クラフトマンのこだわり

近代製鉄発祥の地・釜石の技術でつくりあげたストーブ

岩手県釜石市は、古くから製鉄が盛んで、日本の近代製鉄発祥の地でもある「鉄のまち」。1950年代後半の最盛期には人口9万人を超え、岩手第2の都市として発展してきました。石村工業を設立したのは 1959年。釜石がもっとも活気づいていた時代に、製鉄会社の設備の修理を請け負う会社としてスタートしました。しかし、製鉄業は徐々に活気を失い、平成に入ると大手製鉄会社の溶鉱炉が廃炉に。石村工業も請け負っていた仕事を失い、「自分たちでものづくりを」と、自社製品の開発に取り組み始めました。

クラフトマン本体の材料である厚い鋼板を切り出し、溶接して組み立てたあと、表面をきれいに整えます。

溶接した本体に耐熱塗装を施します。つや消しの黒が、重厚感と手づくりのぬくもりを醸し出しています。

「クラフトマン」の開発がスタートしたのは2003年。その頃、ペレットをはじめとする木質バイオマスの利用促進の動きが活発になっていたこともあり、そのニーズに応える商品をつくろう、と思ったのがきっかけでした。製品化に向け、私たちがこだわったのは「電気を使わない」こと。他社のペレットストーブは、電気でファンを回し、自動制御しながら燃焼させるしくみがほとんど。当社も、自動制御の技術は持っているのですが、「環境にやさしいものを作るのから」と、あえて電気を使わないストーブにこだわりました。さらにクラフトマンは、ペレットだけでなく薪を使うことも可能。これも他メーカーのストーブにはない機能です。こうして2004年、ペレット・薪兼用で電気のいらない国産ストーブ「クラフトマン」が、製鉄の町・釜石で産声をあげました。

「クラフトマンと暮らす」喜びをもっと多くの人に体感してほしい。

震災を経験し『電気を使わないストーブ』の価値を改めて実感した」と話す、
代表取締役社長・石村眞一。

2011年3月11日。太平洋沿岸を襲った東日本大震災大津波は、釜石のまちにも壊滅的なダメージを与えました。海のすぐそばに建つ石村工業の工場も、ひとつは全壊、残り ふたつも鉄骨だけを残し、設備のほとんどは流出してしまいました。 そんな状況でも、従業員たちは自転車で出社し、復旧作業に取り組んでくれました。そして全国のお客さまも、復興支援の意味合いも込め「いつでもいいから」と、クラフトマンを注文してくれました。そんな、多くの方々の支えがあって、2ヶ月半後には、少しずつですが出荷を再開できるようになりました。

また、震災前にクラフトマンを購入したお客様から「ストーブのおかげで、停電や灯油不足でも暖をとったり、煮炊きができて助かった」という声をいただきました。被災地のお客さまのなかには、自宅を仮避難所として開放し、近隣の方々とともに3ヶ月間過ごした方もいらっしゃいます。「クラフトマンのおかげで、みんなが暖かく過ごせました」。そんな言葉を聞いて「電気を使わないストーブ」にこだわって本当によ かった、とうれしく思いました。

クラフトマンは、厚い鋼板を溶接し組み立てた本体に、南部鉄器製の扉を使用した、とても頑丈でシンプルな構造。故障しにくく、修理が容易なのも特徴です。 震災後、復興支援への感謝の気持ちも込めて、瓦礫の中から見つかった70台以上のクラフトマンを修理し、木質燃料普及のために活用してくれる施設などに無料で提供しました。
九州や四国など、全国いろいろなところに提供させていただきましたが、いちばん心に残っているのは、高知にある、高齢者福祉施設の利用者さんのお話。介護なしでは何もできなかったその人が、毎日ストーブの炎を眺めているうちに、みるみる元気になり、自力でさっそうと歩けるようになったというのです。
炎には、予測のつかない「ゆらぎ」があって、どれだけ見ていても飽きることがありません。ストーブの炎が、その方の心に何らかの変化をもたらし、生きる活力を与えてくれたのかもしれません。クラフトマンには、まだまだ未知の魅力や可能性が秘められているのかもしれない。そう考えると、より多くの人にペレットや薪ストーブのある暮らしや喜びを体感してほしい、と思いますし、私たち石村工業も、もっとよりよい製品づくりをしていきたい、と力が沸いてきます。

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